解決したい社会問題は?

環境汚染の問題を解決したいです。持続可能な資源やエネルギーを積極的に研究・開発し、早急に循環型社会をつくっていくべきだと思います。

先日、次のようなニュース記事を読みました。アメリカのある研究グループが、人の臓器からプラスチックの微粒子を発見しました。数十人の被験者の複数の臓器を調べたところ、すべてのサンプルからプラスチック微粒子が検出されたそうです。

これを見て、福岡伸一さんの「動的平衡」という本を思い出しました。昔、標識をつけて追跡できるようにしたタンパク質をマウスに与えて、食べたものがどうなるのかを観察するという実験が行われました。結果は、瞬く間に全身へ散らばっていくというものでした。それはつまり、食べたものがすぐに体の構成要素となっている、ということです。したがって先ほどのニュースからは、人はプラスチックの微粒子を無意識のうちに摂取していると推測できます。

人体の構成要素にプラスチック微粒子が混じってしまっているということは、環境問題が既に人体に何らかの大きな影響を及ぼしている可能性もあります。したがって、人体も含めて上手く循環していくような社会を早急に作ることが、必要だと思います。

今食べているそれが、明日の自分の体の一部になる

食事を摂ると、食べたのもから生きるために必要な栄養分やエネルギーが吸収さる。吸収された後の残りカスや、消費された後の燃えカスは、速やかに排出される。そして、それらが足りなくなるたびに食事をして補給する。

自動車が燃料を消費したり補給したりするように。自動車は、完成された車体があって、燃料を入れれば走り、燃料がなくなるたびに補給する。

 

人の体もこのように、車に似たものとして捉えていました。ところがこれは間違いのようです。

人が食べたものは、すぐに全身に広がり、脳や臓器などの構成要素となります。(同位体で印をつけた餌をマウスに与える実験により観察されたようです)つまり、今日食べたそのお米やお魚、お菓子などが明日の自分の体を作るのです。ですから、今日自分が食べるものたちに、明日の自分の体を本当に任せられるのか、よく考えたいところです。

 

人の体の構成要素は、食べたものとすぐに入れ替わりますが、車のパーツは補給した燃料と入れ替わる、なんてことはありません。

体を構成する分子が常に入れ替わっているとなると、車の点検や部品交換のようなことを、人の体でもやって良いのかは疑問に思います。また、体の各部位の間に境界線を引くことは難しく、人の体と自然界との境界線を引くことさえ難しいかもしれません。

 


生き物を機械のように捉えるのではなく、分子の流れとして捉えることで、現代の多くの課題が見えてくると思いました。